WACC計算における計算要素に適用する理論的な数値のレンジについて リスクフリーレート(Rf)、エクイティリスクプレミアム(ERP)、β、負債コスト、 実効税率(T)の参考水準に関するレポート
2025年7月11日更新
上浦会計事務所
公認会計士・税理士 上浦 遼
1.はじめに
企業価値や事業価値を算定する際、理論的に優れているとされるDCF法ですが、その計算要素である割引率は非常に重要な影響を及ぼします。
この割引率をどのように想定するかによって、算定結果は大きく変動することから、慎重な判断が必要となりますが、企業価値算定の実例が一般開示されるケースは少なく、適用すべき割引率の判断に迷うことも多いのではないでしょうか。
本コラムでは、このような価値算定の割引率について、その計算構成単位ごとに参考となるレンジを解説したいと思います。なお、本コラムにおいては特に説明の無い限り、DCF法に基づく株式価値算定に適用するWACCを想定して解説を行います。
2.WACC計算の実務
WACCによる割引率計算は大雑把に解説すると、株主資本コストと負債コストの平均(加重平均)を割引率とするものです。そして、この内、特に計算において多くの仮定を含むのが、株主資本コスト側であると言えます。
この株主資本コストはCAPMというモデルを利用して算定することが多いのですが、その算定には複数の計算要素が含まれています。
この計算要素に含まれる情報の一部は非常に専門的であり、幅広い企業の情報を収集、試算することにより算定されます。例えば、エクイティリスクプレミアム(ERP)の計算一つをとっても、その算定方法はヒストリカル法、インプライド法などの方法があり、市場全体の数値を使うのか、業種ごとの数値を使うのか等によって割引率の幅があります。割引率の幅があるということは価値算定にも幅が出るということであり、無視できない水準で価値の算定結果が動きます。
価値算定において、これらの情報を提供する機関が存在し、レポートやデータを入手することでWACC計算に適用すべき計算要素(ERP等)を選択するのが選択肢の一つです。しかし、特にスモールM&Aの場合等、割くことの出来る予算に限りがある場合や、売り手、買い手の双方がそれほどまでに精緻な情報を求めていない場合等には、企業価値算定を自社で行う又はそもそも算定を行わないということもあるでしょう。
以降の解説では、専門機関のレポートやデータを利用せず、企業価値算定等を行う場合に参考となるであろう数値のレンジを提示しています。
3.WACC計算に用いる計算要素の具体的な参考数値
DCFやWACC算定で用いられる主要なパラメータについて、実務上用いられる水準や実務上の目安を整理します。
但し、これらはあくまで参考数値であり、且つ、いずれの数値も常に変動を続けています。投資の性質や投資先の状況によって採用する各数値は異なることや、前提条件によって以下の水準から大きく乖離する可能性があり得ることには十分留意下さい。
WACCの算定においては、個々の案件ごとに前提条件を整理し、論理的に採用すべき数値を検討することが重要です。
- リスクフリーレート(無リスク利子率)
評価通貨が日本円であれば、通常、日本国において最もリスクフリーに近似するものは国債です。特にM&Aにおける割引率計算に用いる指標としては、10年国債の利回りを基準として検討するケースが多いです。
近年の水準を鑑みると、長らく超低水準が続いていましたが、最近では金利は上昇傾向にあります。
通常は評価時点の最新利回りを使うケースが多いですが、異常値の場合は直近数ヶ月平均をとるなどの調整も考えられます。 - エクイティリスクプレミアム(ERP)
エクイティリスクプレミアムは株式市場に対する投資利回りの要求水準であり、広く市場リスクプレミアムなどと呼ばれることもあります。こちらも変動はありますが日本株式市場では、概ね6%前後が一つの目安と思って良いでしょう。
ただし、これは時期や計算方法でブレがある点に注意が必要です。投資に慎重なケースではより高めに設定する場合もあり、その場合β値や個別リスクとの整合に注意が必要です。
一般論として成熟市場のリスクプレミアムは低く、評価対象企業がこの範疇に含まれないケースには高いリスクプレミアムを設定します。要するにハイリスクな投資ではハイリターンを期待することからリスクプレミアムも上昇することとなるのです。 - β値のレンジ
β値は市場の動きに対してどの程度の影響を受けるかを示す数値であり、個社の感応度を反映させるために使用します。個別の企業や業種ごとに異なりますが、市場平均は1.0となります。
そのため、日本市場全体で日経平均等に対し典型的な企業の場合βは1.0に近づきます。
例えば、堅実な業種(電力・通信など)のβ値は0.6~0.8程度と1未満のことが多く、景気感応度が高い業種(自動車・商社・製造業など)は1.0前後、ボラティリティの高い業種(ハイテク・機械・建設など)は1.2~1.5ということもあります。
もっとも日本企業の場合、海外展開比率や為替リスク等によってもβ値は変動し、純粋な国内需要株は低β値、グローバル企業は国内市場以上のリスクを負うためβ値が高くなるケースもあります。したがってβの典型的レンジは0.7~1.3程度であるものの、個別にはさらに幅があると思っておくのが良いと思われます。実務では企業の比較分析で算出したβを使うケースが多く、対象企業の性質にあったβレンジ内の値を採用する必要があります。 - 株主資本コストの水準
上記のリスクフリーレート、エクイティリスクプレミアム、β値から算出される株主資本コストは、上場企業であれば5~10%程度に収まるケースが多いのではないでしょうか。
DCF法を使用する場合は多岐に渡りますが、例えばM&A実務における買収対象企業は圧倒的に非上場企業が多く、これにさらにサイズリスクプレミアムを加味する等して、5%~10%を大きく超過する株主資本コストを利用するケースも珍しくありません。投資の性質からハイリスクな投資となる場合には10%を大きく上回る資本コストとなるケースもあります。 - 負債コストの水準
日本企業の負債コストは、金利の動向、財務内容、信用力等で変化します。
実務上、M&Aにおいて評価対象企業は中小企業であることが多い点を鑑みると、負債コストの幅は非常に広く、必ずしも財務リスクに連動していないような場合も散見されます。
中小企業においては、1%を大きく超過するようなケースは珍しくありません。この辺りは評価にあたり実績値をベースに算定出来ることが多く、個社の実態に即した数値を採用することが重要です。また、利息は損金算入されることで税金を抑える効果があることから、税率を加味します。実効税率は企業規模や地域によって異なりますが、概ね、税引後で約7割弱程度となるでしょう。
WACCにおける負債部分の寄与は現在の日本では非常に低いと言えます。資本構成にもよりますが有利子負債の構成比が大きい場合、WACCを引き下げることも多く存在します。もちろん将来的な金利上昇には注意が必要です。 - 実効税率(T)
日本の法人税等(法人税・地方法人税、事業税等の実効税率)は現在、約35%程度です。
外形標準課税の適用を受ける場合、概ね31%程度まで低下し、企業規模や所在地によって少しずつ異なります。
非常に大雑把ではありますが、日本における評価実務においては、概ね資本金1億円超は31%程度、資本金1億円以下は35%程度を基準に考えるのが良いでしょう。
海外では税率も異なりますので、この限りではなく、各国の税率を適用するのが適当です。
以上、主要な前提指標についてまとめました。下表にも一般的な水準の一例を示します。
※上記はあくまで参考数値のイメージです。個別の評価においては、業種、個社別の事業リスクや地域、観測時点によって異なる数値が適用され、場合によっては各パラメータ数値が負の数となるケースもあります。
当コラムの意見にあたる部分は、個人的な見解を含んでおります点にご留意ください。
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